【大事にしたい、今この時を】
以前から約束していた日が来た。
コロナ過で、約束するもなかなか会えずにいた友人との再会である。
その友人は、俗に言うイケメンで面白くもあり哲学的考えの持ち主。
似たものを有しているのか、話しをすると二人とも会話が止まらなくなるほど仲が良い。
高校時代から本格的に仲良くなり始めて、今では親友と呼べる存在。
コンビニでおつまみとお酒を少し買って、私の自宅で話しながら飲むのがいつものスタイル。
その内容は、色のある話から、世論、遊び、仕事、人生観、自身の現状や心境、過去を懐かしむ、など様々で尽きることなく展開されていく。
自分達の観念や概念の話しでは、話す本人すら抜け道が見えなくなるといったトンチ満載のトークで予期せぬ答えを見つけられることもある。
おふざけも大好きな私と友人は、それらの話題を面白おかしく飛躍させては自分たちの世界で笑う、これがなんとも気が合わなくてはできない凄いことだと毎回のように痛感させられる。
そんな久々の再会はトークもほどほどに、発売したばかりのホラーゲームで熱気を帯びるところから始まった。
プレイするなり驚きと笑いの連続で盛り上がりながら進んでいく。
ふと休憩がてら時計を見ると、気づけば夜中の3時。
もうかれこれぶっ通しで6時間はプレイしていただろうか…童心に返ったように没頭していた。
一旦ゲームをやめて、何気ない話しがそこからまた展開していく。
ここからの話題はクソ真面目な話し中心になった。
彼には昔から、その真面目さと誠実さの中に「いかに楽に生きていけるか?」という矛盾したテーマがある。
あえて現実逃避論とでも言おうか、これがまた聞いていて面白い。
自由な発想とはこういうところから生まれるのだなと感心する。
彼のせめて「自分の心だけでも、自分で自由にしてやりたい」という願い。みたいなものが、発せらる言動から伝わってくるのも魅力的だ。
聞いていて学ぶところがあるし、幸せの形というものを考えさせられる。
そして話しは一向に止まらず、「チュンチュン」と小鳥のさえずり、澄んだ群青色がカーテンの隙間からこぼれてくる。
もう朝の7時。
そこから二人とも話しながら意識を失い、やっと眠りについた。
午後の16時頃目が覚め、そこから2時間ほど世間話しをしながら滞在し彼は帰っていった。
有意義な時間だった。
完璧な理解者はこの世には存在しないのだろうけど、理解しようと努力してくれる人は大切。
彼とは不思議なことに一度も喧嘩したことがない。
彼の心の解放感は一緒にいても不快にならない。
自由な心の持ち主というのは、ムダに争うことなく、上手に物事を運ぶのがうまいのだろう。
立派で素晴らしい「能力」である。
不純物が多い社会の影響に負けず、我が道を示していってもらいたい。
友人との話しの中で感じたこと
相手を理解し受け止める度量というのは=心の広さと思うが、色んな制約がかかった心では真の自由を得る事はできないし、ましてや、他人に無償の愛などというものは与えられないのかもしれない。
自分で自分を縛らない努力を惜しまずに知と理を積み上げ、それを「徳」とできればこれほど素晴らしいことはないのではないだろうか。
話題のゼロカーボン…地球環境を守る目標であるが、人間の「欲」にバイアスがかかり過ぎた「心」を±0に戻すという事も加えて地球環境保護の観点からしても必要な事だと言えるかもしれない。
心をいつもゼロに、つまりフラットに保つということが大事で、それは人にも環境にもいい影響を与える。
少し真面目になってしまったかな。
それではまた会う日まで――色んな知をため、理をもって接し楽しく有意義な時間をつくろう――。
楽しい時間をサンキューー(尾形)